わたがしをつくる

目の隈が永遠に抜けないままなにか書いている。

春を始めるはなし ひとつめ

とてもお久しぶりです。そしてお待たせして申し訳ありませんでした。

 

久々にこちらの内容についてまた言及していこうと思います。

まず1つ目

紲星あかりは7月7日に死にます。

0~3話で既に雰囲気は伝わっていたかもしれませんが、それだけは変えようのない物語です。
休止をするとお伝えした際に提出させていただいたプロットでも分かる通り、「奇跡」に頼らない限りこれはどうあがいても覆りません。

物語を始める時、奇跡を起こせる条件は自分の中で決めており
・7/7に物語を完成させる
・奇跡を起こしても許されるだけの行動を結月及び紲星に行わせる

この2点が必須項目でした。
(そもそも奇跡が起こらないほうがとてもきれいに終わるのでわがままを通す物語でもあるんですけど…)

今回はそのわがままを通せない物語としてプロットを全て書き直しし、4話前篇として上げさせていただきました。
大筋はほぼ代わりありませんが、プロットを読んでいたとしてもとても様変わりした内容を楽しんでいただけたら幸いです。

 

そして2つ目

星は廻る月は廻ると銘打った通り、これは紲星あかりと結月ゆかりが主役の物語です。

そんな中、現在琴葉姉妹の物語が主軸として進んでいます。
それについて少し言い訳をさせてください。

 

人は無意識で行動をする時があります。
ただそこには必ず、今まで生きてきた環境が影響を及ぼしたりもするはずと私は考えています。

では星月の5人はどうでしょうか?
舞台は花のある学生生活。きっと悩むことあれどまだ選択肢は往々にして用意もされていれば作ることのできる子たちです。

ですが紲星あかり、結月ゆかり、琴葉葵、琴葉茜…この4人を支える人は誰もいません。

だからこそ「悩む」という選択肢がこの子達の頭には存在がしません。
「悩む」行為に割く時間も余裕もなく生きているから。

そんな中あかりとゆかりは「大人」として存在しています。
誰かにとって頼ることができ、人へ寄り添える余裕のある人として立ち振舞います。だからこそ2人は琴葉姉妹へ助言し、手を貸すべきか見極めつつ見守るのです。

ですが0話と3話ではあかりの弱さ、2話と4話前日ではゆかりの弱さが垣間見えます。
その弱さを「嘘」や「虚勢」で隠して頼られる存在を演じるのが結月ゆかりであり、紲星あかりでもあるのです。

だからこそ2人は琴葉姉妹へチャンスを渡したり、ダメな事はダメと言い聞かせます。それは自分たちのように諦める大人になって欲しくない、そんな気持ちもあるかもしれませんが…それ以上に

せめて私(達)には甘えて、子供でいてもいいんだよ

形は違えどあかりとゆかりは言葉と行動の全てで琴葉姉妹へそれを実行し続けています。

だからこそ琴葉姉妹は今まで溢れても見なかった、見えなかった悩みと向き合い苦しんでいます。
本来なら少しずつ、余計にこんがらないように優しく解いていく悩みは積もり積もって2人だけでは解決できないものとして形作っていました。
それを表層化させたあかりとゆかりは「大人としての責任」を持って全力で琴葉姉妹を支えようとします。

紲星あかりは琴葉葵を、結月ゆかりは琴葉茜を。
どこか自分を見ていると感じるからこそ、少しずつ虚勢が張れなくなり始めている2人はそれでも意地や信念だけで事を成そうとします。

 

ではなぜここまで琴葉姉妹が成長し、安定する必要があるか。

あかりは日が経つに連れほぼほぼ強くいられるだけの余裕は消えかけおり、ゆかりも本来は精神が強い人ではなくただ知っているから、分かっているから耐えられているだけに過ぎません。
きっと、2人は全てに直面した時心折れそうになるでしょう。

そんな2人を支えられる存在として絆を結んだ琴葉姉妹がいるのが5話以降として成り立っています。
友人以上の関係性を築けたからこそ、あかりとゆかりは「大人」を誰にも演じる必要は消え、そこで初めて自分自身の問題と向き合い始めるのです。

ですが紲星あかりへ七夕に奇跡は起こりません。

そして結月ゆかりは絶対使わないと決めていた「時計」を「大人」であるために使うことを決めました。


1つの道筋から外れた彼女たちは奇跡に頼らず何を見出すのかを
どうかお見守りいただければ幸いです。