また本を出しました!
11月10日にて開催された『コトノハーズフェスタ8』にて頒布させていただいた文庫本、『200マイルより先、赫耀のように』
及び、前回頒布数が少なかったため言及を控えさせて頂いた本、
『彗星の降りきる前に』
今回こちらの二点についてお話を出来たらと思います。
それでは感想戦、いつものように行ってみましょう。まずは200マイルより先、から。
今作、葵ちゃん視点で書きたいなと前々から思ってはいたので、葵ちゃん視点を軸に時たま補完を兼ねて茜ちゃん視点等を入れていきました。
あくまでも主人公は葵ちゃん。彼女が選択を選び取っていく訳ですが……
今回書いてて思ったのは、やっぱり葵ちゃんってかなり書きづらい、というか説明しきれない子だなあと。
※茜ちゃんの場合は目的意識がずっとハッキリと、1-2個しか彼女はずっと抱かない。だから凄く一緒に走りやすい。けれど葵ちゃんの場合は目的意識が彼女の中でも胡乱な状態であり、そもそも過ぎ去ってしまった物はもう終わったこと、と彼女は意外と……そう、以前も何かでお話しした通り、リアリストなんですよね。
これに関しては理由は分かりきっていて、自分の中で葵ちゃんという存在は自我がとても強く、茜ちゃんと違ってある程度一人で物事を決められる主体性があるんですよね。彼女の主体性というのはそこそこ意思が強固な、よく言えばまっすぐ、悪く言えば曲げれない意思を持っており、これこそが茜ちゃんを上回れる唯一性でありつつ、葵ちゃん自身が忌避している正体でもあります。
彼女はなあなあながらも自分一人で生きていけてしまう。
この物語の琴葉葵は琴葉茜のように一生引きずる事はあったとしても、普通に生きていけてしまう。それを薄々ながら理解している彼女にとって、全部、我儘でしか無い。傷つけを発生させかねない想いを抱いているだけに過ぎない。だって既に自己完結が生きる上で出来ているのに、そこに誰かを……いいえ濁すのはやめましょう。
琴葉葵にとって唯一、琴葉茜という一生の人生に巻き込んではいけない立場の人間を自分の欲求のためだけに巻き込む事を、彼女は、葵は良しとしない。彼女はリアリストで、茜と同じくらい自分の欲望に酷く敏感であり、一人生に対しての年数の少なさを感じ取ってしまっている。
それが琴葉葵にとってのある種、諦めのような心の縛りとして存在しています。
ただそんな葵ちゃんだとしても茜ちゃんの苦しみを知ったなら!!!!!振り払って走れるよなあ!!!!!!!!!!!!!
それが今作、200マイルより先、赫耀のようにとなります。
赫耀とは赤い煌めき。彼女たちにとって唯一の行き来の手段が200マイルの新幹線だとしても、心に持つは全てを置き去りに、いいえ、唯一の片割れを置いていかないだけの速さで追いつこうとする願いのような走りが出来るはずです。
どこまでもどこまでも走り抜けろ琴葉姉妹。空を突き抜け自分たちの居場所が台風の目になるくらいに、全てを今のためだけに過去にしてしまえるくらいに、いいや過去も未来も、全てを置き去りにするくらい速く、遠く。そんな願いを込めて書きました。
本作、色々な要素のツギハギに近い(と思っている)ためちょっと解説が難しいんですが、何となくでもいいので嫌さを感じてもらえたら良いなあって書いていました。
たとえば葵ちゃんの私室にはサボテンが出てきましたが、これは理想の夢に至った場合花が咲いてしまいます。サボテンといえば不器用な人でも育てられる植物として有名ですが、茜ちゃんという要素が彼女に加わった時、枯れはしなかっただけというのが葵ちゃんに対し打ちのめしてくるんですよね。
サボテンには枯れない愛なんて花言葉もありますが、彼女にとってほんのボタンを掛け知違えただけの未来では成就していた願いが沢山あったでしょう。
不貞腐れながらも連れて行かれた遊園地はきっと、一生の思い出になったのでしょう。
家事が趣味という姉が洗濯してくれたタオルや衣服からいい香りがし、アイロンや乾燥機にかかった物からは彼女の欲しかった温かみが手に入ったことでしょう。
ただ毎週、隔週出すだけだったゴミの日も姉と一緒に外に出る機会だった筈です。
料理ももしかしたら姉から教わっていたからこそ当番表があったのかもしれない。
葵ちゃんに突きつけられたのは、19年の歳月を持ってしても手に入らなかった未来とは、これです。
「嫌いにならないでなんて言わない、怒んないでなんて言わない、でも、でも、6年同じ言葉を 知りたかった、6年たくさんの初めてを知りたかった、3年努力して実る嬉しさと実らない苦し さを知りたかった、3年大人になる全部ひっくるめたドキドキを知りたかった。全部、一緒に知 りたかったけど我慢したの!!我慢して、生きてきて、でも、でも、私の体が弱かったのが悪い の、私の心が弱かったのが悪いの、でも…… っ」
6年、この世に生まれ、自分の足で立ち上がり、その国の言葉を覚え、喋れるようになり、字を少しずつ知りはじめ、時間を覚え、物の意味を知り始める。そんな沢山の時期が2人ではいられなかった。
6年、小学校という同年代の人と人とが繋がる時期、授業を通して知るいつかの興味に繋がるかもしれない数多の時間を1人で過ごし、もしお姉ちゃんが、もし葵がいたらと他者を知る度に幾度も夢想したでしょう。
3年、遅めながらも初めての身体の変化に不安を覚える時、傍にはお姉ちゃんは、葵はいないという事に少しずつ慣れている事に痛みを覚える時期でもあるかもしれません。中高一貫のため彼女たちは先んじて受験をしていたのかもしれません。そんな沢山の不安の中でもやはり自分一人。勉学の難易度も上がり、思った以上に自分の努力が実らずに悔しさに似た苛立ちすら覚えた時期もあるかもしれない。
3年、心が少し落ち着き始めた最中、周りが恋などを知り始めた時期、ずっと想い続ける相手へ恋なのかどうか悩む時期すらあったかもしれません。心で分からないことが今までよりずっと増えたかもしれない。
19年というのは……葵にとってずっと想い続けた時間そのもの。
そして同タイミング。茜ちゃんはあくまでも葵ちゃんと過ごした日々をスマホを通して知ったに過ぎません。
※理想の夢の茜はどこかのタイミングでまた現実の自分が入れ替わるであろう事を想定し、メモを自分たちのために残している
この理想の夢では琴葉茜はきっと葵ちゃんがなぜ入院に至ったのか突き止め、その上で問題解決を図れたのでしょう。ぎこちないながらも再スタートさせた日々。きっとそこには葵ちゃんにとっての理想だけでなく、茜ちゃんにとっての理想も混じっているでしょう。一緒に、いいえ、自分にとってだけでなく彼女のために使うことを想像した家具。病院で一緒に泊まりたいなんて言っても叶わなかった過去があるからこそダブルベッドにはきっと子供にとっての二段ベットのように羨望があったでしょう。彼女に食べてもらうご飯だって、茜ちゃんにとって健康を考えた日によった献立があったはずです。
なのに、突きつけられたのは自分の作った記憶のないご飯においしいと、涙をなんとか拭った後の顔で笑みを浮かべる妹の姿。
互いにここのシーン、ズタズタで、嫌で、嫌で、どうしようもない場所として上手く作れたでしょうか。
僕はここのシーン最低最悪に作れたと思います。ハハ。
ここ、2人はまだ未来を諦めていないんですよね。いつか必ずと、互いに願いを持っている。だからこそ2人は余裕が無くなってしまう。
なぜなら2人が思い描く願いが叶った時にあるべき景色とは、彼女たちにとってひとえにたゆまぬ努力をした結果の物として欲しいのであって、簡単にポンと出されてしまえば自分自身の否定に繋がるから。
十で神童~云々はコロンブスを考えていました。
これが正しいと教わってきたはずなのに、今では違うと言われるどころか180度真逆の事をきちんと知識として知っていなければ、義務教育の内容全てを把握していなければ後ろ指を簡単に刺される時代となりました。
皆さん覚えていますか?食塩水濃度の計算を。またはミシンの使い方を。または48都道府県の位置名称及び特産を。または英単語の比較級、最上級を。または漢字の部首や書き方、熟語の構成を。またはまたは……
全部常識らしいですよ。怖すぎますね。
そんな中茜ちゃんはせめて一人には正しくあろうと、誠実であろうと努めていると書かせていただきました。それは多分、凄く難しいことだと思います。分かった上で彼女はそれを言っているのがどうしようもなく愛おしいですけれどね。
これを愛と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょう。
もう一個のシーン、最終章の灯籠を流すシーンについて語らせてください。
ここ、葵ちゃんは目を瞑って祈る茜ちゃんを想像し、茜ちゃんは静かに眠ってしまっているんですが……。
茜ちゃんが葵ちゃんの横で眠っている時って、基本作中では式後の夜なんですよね。つまりは彼女にとって祈りとは死後の葵ちゃんの隣で眠ること。
逆に葵ちゃんにとって祈りとは隣で眠る茜ちゃんの姿。
正直2人の関係性にもうこれで答えでいいですか……?思って書いてたんですが、夢ラスト
「もう、夢で死ぬのはこりごりかも」
これは
「うちは、好き。葵の事が、好きなん」
への返答として……今でも分かんないな。でもこの夢という互いに共通した過去の場所で言う物としては最適解かなと思いました。
月が綺麗ですね、私死んでもいいわ、このまま時が止まればいいのに……沢山ある中で何かを模した答えではなく、この場に辿り着いた葵ちゃんだからこそ出せる言葉
「もう、夢で死ぬのはこりごりかも」なんじゃないでしょうか。加え最後の
「今日バイクの後ろに乗ってもいいよ」という言葉。これって台風の目の真っ只中、加え彼女は浴衣を着たまま。事故が起きかねない中連れ去って良いという言葉だと思います。
多分この作品はまだ、恋も愛も始まれてすらいない、でも愛は確かにあるんじゃないでしょうか。
「――まぁ、すぐ追いつくよ」
「……ちゃんと、待ってるからね」
これは葵ちゃんが目を開いてしまった時、ちゃんと茜ちゃんが子供の姿から追いつけて隣に、対等になれたタイミングのセリフだと思います。
彼女たちはリアルタイムでこそ同じ時間でも、精神がやはり夢のせいでズレている。
僕はそれを魂の寿命のズレと認識していますが、多分幾星霜生まれ変わった時を過ごした時、ここのズレで彼女たちは別々の死を迎えてしまうんじゃないかなと思ってしまう。
なので2人は今生の誓いとして追いつく、待っている。そんな言葉を交わす。
どうでしょうね。やっぱりただ夢のズレ分茜ちゃんが頑張って葵ちゃんの元へリアルに辿り着けただけかも。2人にしかここは多分わからなくてもいいかもと思ってセリフだけにしました。もしセリフだけでも情景が浮かべていたならとても嬉しいです。
あともう一つ。これは……削った部分でもあるのですが、茜ちゃんの関西弁、作中でなるべく僕は関西弁と言及を控えています。
なぜならどの作品でも琴葉茜は関西弁を使っていないので。
ののはのでこちらに関してはかなり言及しましたが、茜ちゃんは簡単に葵ちゃんとの共通点である標準語に近い言葉を捨てるか……と言われたらNoだと思っています。だからこそ茜ちゃんのシーン、常に心情では「私」と「標準語に近い言語」を彼女自身が扱っています。時たま素が出て「うち」と使いこそすれど、彼女は「私」が心の一人称なんですよね。
そのため、葵ちゃんが正しく関西弁を聞いた場合、姉とは違うという違和感を感じ取るかと思います。
それを作中で出そうかと思いましたがやむを得ずボツったんですが……。代わりにエキストラとして関西弁……に似た言語を扱う方々を出しました。
ここ、夢なんですよね。夢で関西弁に似た言語って、葵ちゃんにとって関西弁=優しさの象徴として存在しているからこそ、出てこれた人々かなと思っています。
(今の世界って結構冷た目な人多い中でも、きっと書ければそういう人が増えたらいいななんて願いも籠もっていますが。あと冷たい人ばかりではないときっと願いたかった)
200マイルより先、赫耀のようにはこの辺りでよろしいでしょうか。
ゆづきずに関しては、葵ちゃんの力の本質は、などあるかと思いますが……それはまた別作品で!またあるのでね!
さて続いて『彗星の降りきる前に』
これはTwitterで纏めていたものをきちんと形にしたものですね。当時ZTF彗星が流れてくる状況であり、それと同タイミング、1日1話形式で作っていたものになります。
夢十夜みたいですね。(コトフェス8直前に読みふふ、となりました)
これは短い話のためあまり語ることはない……のですが一点だけ。
33P~ラストですね。
「わたしと、おねえちゃん。一緒に叶えたい願い事を言うの。三回…… 全部一緒なら、きっと叶うって」
三回全部。その言葉を境に葵の心拍数が上がる。本当に…… 最後まで妹は、私と同じでいじっぱりで、怖がりで、わがままだ。
「…… ふふ、いいよ。三回ね?」
「…… うん、三回」
ふっと互いに息を吐き出す。それから私は葵に抱きしめられていた手を離させ、右手に右手、左手には左手を合わせ、指を組むような、願い事をするときのような手の形にさせた。
また、葵と一緒にいられますように。
お姉ちゃんが離れても、元気でいますように。
その願いを、二つ分込められるように。
互いに息をもう一度吐き出し、思いっきり息を吸い込む。それから「「せーの」」と言葉を合わせた。
「「また元気になったら一緒にいられますように」」
「「また元気になったら一緒にいられますように!!」」
「「また元気になったら…… !!一緒にいられますように…… !!!!」
ここ、とても大好きなんです。まずこの作品、かなり葵と茜が少しずつ重なり合う事を意識していて、互いが互いのために願うような願いの言葉を口にします。
そうして最後、「……うん、三回」の後に
右手には右手 左手には左手……と描写していますが、これ正確に読み取るとおかしいんですよね。右手に重なるのは左手なので。
つまりここ、茜と葵で心理描写が重なっているんです。右手と右手を動かし、左手と左手を動かす。鏡合わせのようにお互いが重なり合うんです。
そうして3回同じ願いを言葉にする。
それだけで、今回感想戦を終わろうと思います。
また次は1年後に!
今回コトフェス8に出る機会となった熱量をいただけたコトフィル関係者様、ヒロ様、赫耀のネタとして拾わせて頂いたぼたもち様、様々な方々に感謝を。
そしてまだまだ動画や小説など、創作を続けたいと思わせてくださる沢山の関わりに感謝を。
私の何かから熱を貰ったからと言って貰えてとても嬉しいです!まだまだ色々やります!締め!